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実りの価値

梅を育てる身の上で、我流でここまで何とかやってきましたが、一度しっかり勉強してみようと一念発起し、今年から東京農大グリーンアカデミーに通っています。午前中は座学、午後は畑に出ての作業を、週2日楽しんでいます。東京農大の学食での昼ごはん、最高です!


今年はまず、夏野菜と花の栽培を並行して行います。昔ながらの農具での作業は全てが新鮮で、目からウロコなことばかり。収穫した大量の野菜はおいしいものばかり(中でも、いんげんの【サクサク王子】、枝豆の【おつな姫】は抜群!)、たくさんの切花は、普段なかなか飾ることのないお手洗いまで彩ってくれます。種から植え、手間暇をかけ栽培の時間を楽しめば、驚くほど安価に、心潤う豊かな時間を得られることを身をもって感じています。

同じ班のみなさまと

 

さて農業に近い場所にいると、いつも見えないものに気付くもので、スーパーには真っ直ぐのキュウリが整然と並んでいますが、実際の畑では9割近くがキュるっと曲がっているということです。聞くところによると、キュウリの曲幅は1cm未満でないと規格外になるそうで、不適格になるとスーパーでは販売できないようです。


こうした現象はすべからくの野菜に見られ、先生が売り物にならないからと、大量に配ってくださった玉ねぎは、どこがダメなのか全く分からない、本当に美味しい玉ねぎでしたが、不適格だそうです。。そしてこうした不適格野菜は、朝市や青空市場などの、本来B級やC級を扱う目的の場所でも嫌がられるそうで、売り場がないのだそうです。


同じ畑、同じ土で育った美味しい野菜。自然に曲がったものは価値0で、真っ直ぐなものは100円。しかもB級品は売ることもままならないとは。何がそんなに違うのか。これはひとえに「曲がった野菜は野菜にあらず」という、人間が身勝手に決めた「価値」がそうしているだけです。平気に何万個も廃棄された恵方巻き。そこに入るキュウリは真っ直ぐのものでしょう。そんな状況には蓋をして、またまたSDG's、食品ロス、そして便乗値上げと責任転嫁が続きます。

 

一方で、都心に暮らしているウチのご近所さんが、植栽のスペースに、トマト・ナス・ピーマンを植えました。特にトマトの出来はすばらしく、小学生たちも興味津々。真っ赤に実ったトマトをお裾分けしたりと、楽しい時間が流れています。今までご自宅の中庭で家庭菜園を楽しんでいたようですが、こんなに実りが多く、楽しい年は初めてと興奮されていて「そのうち、この通りの植栽は、全部野菜にしちゃいたいわね!」とおっしゃっていました。私も全く同感です。

もちろん、ここにはB級もC級もなく、純粋に野菜としての価値が見出され、目で見て楽しみ、取りたてを味わいます。更にトマトを植えることから生まれた、生活の端々を潤す、通りすがりの見知らぬ人との会話、ふと目にする和やかな光景、ご近所さんの嬉しそうな表情は、本当に素晴らしいと思います。


思えば自然からいただく「実り」には、いつも人間を驚かせ、楽しませてくれる多くの要素があると思います。不思議にふれ、皆で会話を弾ませ、共に分かち合う。この実りの真価を忘れ、ある一つの方向からのみ評価し、単なる生産物としての「食料」としたところで、本質が見失われたように思います。


忘れられたこの価値を、SUNNY LOTの活動を通して、さらに広めたいと思う、酷暑の昼下がりでした。









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